「消えもの」は、撮影業界やギフトなどの場面でも食べものを指す、専門用語だ。
食べものは消えてなくなってしまう。
その儚さが、またいいのだけど。
書くこと以外に、ライフワークとしている写真を撮ること。
こちらは完全に、好きなものを好きなようにに撮っているだけだ。仕事で執筆と一緒に依頼されて写真も撮ることもあるけど、クオリティの担保という面で可能ならプロのカメラマンさんに同行してもらうことをお願いしている。
先日、わたしの撮った写真をはじめて見たひとから「料理への愛情が見てとれる」とうれしい言葉をかけてもらった。
子どもが生まれたとたん、写真フォルダが子どもの写真でいっぱいになるように、写真も愛情表現の一つなんじゃないかな?と思っている。
仕事柄、やっぱり食べものを撮ることが多いのだけど、そのときの気持ちはアイドル専属のカメラマンなのだ。
料理って、食べる前の前工程がすご〜く長い。
「何を作ろうか」からはじまり、メニュー決め、買い物、調理、配膳……。でも食べるのは一瞬!あっという間に消えてなくなってしまう。
「こんなに頑張ったのに、なくなるのは一瞬なんだな〜」と気づいてから、自分の記録としても写真を撮るようになった。
料理を一度作ったらあらゆる面から楽しみつくしてからいただく……!つくづく貧乏性なんだと思う。
そもそも料理写真を撮りはじめたのも、料理が得意だったからではない。
むしろ逆で。
写真を撮るうちに、料理をする回数も増え、おのずと技術も上がり料理がもっと好きになっていたのだと思う。
1番最初に撮りはじめた料理写真を見返すとおもしろいですよ。
(わたしは今すぐ見つけられなかったけど!また発見したら載せますね!)
「#37 写真は愛情表現の一種なのかも」へのコメント
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