*本エッセイは、別メディアにて執筆した記事を、記録用に転載したものです。


「ここにいる皆さん全員、一人残らず幸せにします」

先生は真っ直ぐな瞳で私たち生徒を見つめ、語気を強めてそう言い放った。

ここは自己啓発セミナーでも婚活パーティーの会場でもない。
とある料理教室での、一場面である。

私はそれまで、食べること自体は好きだったが、食事に時間をかけることはもったいない、とさえ思っていた。ほかにやるべきこと、やりたいことが山積みだったし、有限な時間の中で、それらと天秤にかけると、私の人生における食事の優先順位はどうしても低くなっていた。

「もっと早く、もっと簡単に、もっと楽に」
そんな思考状態は、結婚した後もさほど変わらなかった。

心の奥底では、夫には家族には、なるべく栄養のあるものを食べてもらいたいとは思っていたけど、けど……念じているだけで料理の腕が上達するはずもなく。
共働き夫婦で、幸いにも料理が苦にならない夫だったことにも甘え、平日の夕食は自宅に早く帰ってきた方が準備をする。できれば野菜も入れて、ね。
そんな感じで、日々をやり過ごしていた。

そして、自分の体が自分でないような体験をした妊娠・出産期。

自分の体のコントロールが効かなくなり、病気を経験した。そのときの入院メモにはこんなことが書いてある。

「大好きだった仕事も、趣味の音楽も、書くことだって、何もかもがすべてストップする。何をおいても、とにかく健康でなければ」

悲しきかな、人間とは厄介なもので、今、すでに手の中にあるものにはなかなか気がつかない。いざ自分の身の回りにコトが起きてみなければ、分からないのである。

無事に出産をして1ヶ月が過ぎたころだろうか。

バターや甘いもの、こってりしたものを食べて授乳をしてしまった翌日に、突如、息子のおでこや頬に無数のぶつぶつとしたものが現れた。私が食べたものは血液となり、母乳として子どもへ直に影響するようになっていたのだ。

そして、あれよあれよという間に始まった離乳食期。少しの味の変化にも敏感に反応し、この離乳食期からの味覚が、今後、この子の食生活を左右するのだと、日々実感させられる。
こうした度重なる食への警鐘のおかげで、必要に迫られ、私は、初めて食事と真剣に向き合うようになった。

オール自然派・無添加とまで徹底するつもりはないが、もっと自然に旨味を引き出せる方法はないか。病気になってから薬に頼るというよりも、日々の生活の中で、自然治癒が取り入れられたら。一家の家計を預かる身として、長い目で見れば、通院や薬代などをひっくるめて考えると節約にもなるのではないか。

そんな思いから、あてもなく、日々、パソコンとにらめっこをしていた。
そんなときにたまたま出会ったのが、その料理教室だった。

ホームページのABOUTの部分には「日本の伝統的な調理法や調味料をメインに、旬の食材を使って家庭料理を……」というような文言が並んでいる。うん、なんだか理にかなっていそうで、いい感じ。
しかし、受講料は決して安い金額ではなかったし、乳幼児のいる我が家では家族の理解と協力が不可欠。それに、ここだけの話、その、画面から滲み出るキラキラ満載感がどうも苦手で……それはもう、うんと悩んだ。

あれこれ散々悩んだが、最後は

「やるか、やらないか、だ」

そう、心の中でマジックワードを唱えると、締切日ギリギリの夜になって、えいやっと申込みボタンを押した。

こうして迎えた初回の講義で、私は、先生が力強く発した冒頭の言葉を聞くことになる。

「こ、ここって料理教室だったよな……?」

正直、最初は面食らった。

私は来る場所を間違えたのかと思い、あたりを見回した。でも確かに、シンクやガス台はあって、まな板や包丁もきちんとセッテイングされているし料理教室の体はなしている。一緒に講義を受けていたほかの受講生の表情はというと、心なしか、キラキラとした目で食い入るように先生を見つめている。

「そんな、料理教室ごときで、大袈裟な……」

ずいぶん変わった料理教室だなと思ったが、半信半疑でその講義に耳を傾けていた(後に、その先生は、その道では若くして頭角を現し、メディア出演や著書も多数出版している著名な方であることを知った)。

毎週の講義内容は、前半は座学、後半を実習で構成される。

野菜の切り方からはじまり、出汁のとり方など基本的な調理技術はもちろん、栄養学は、研究者が研究した知識や発見という科学的根拠にもとづいて、家庭でも応用でき、体を作る上でいちばん大切な料理に落とし込んで、初心者にも分かりやすく、丁寧に教えてくれた。

そして何より、食事の時間は億劫で苦痛なものではなく楽しむ時間であること、食材との向き合い方、季節との付き合い方について教えを説く様は圧巻だった。

私も、ダイエットをしている最中は一口でも食事を摂ることは悪だと思っていたが、ここへ来て、そんな考えは見事に覆された。食べながら痩せることができる。その教室では、摂食障害などで食べることとの付き合い方に悩む多くの人たちを救っていた。

回を重ねるうちに、料理の技術以上に、全力で食事や料理に向き合い、目の前の生徒を本気で変えようとするその真摯な姿勢に、私は心を動かされたのである。

熱い想いを目の前の生徒にぶつける講義。多くの生徒がこの先生の、この教室のファンとなり、信頼をおいている。すでに多くのファンを獲得していることにもうなずけた。

このご時世、食もモノもコトも、あらゆるものが飽和状態であるが、一方で、目に見えない「信頼」にお金が支払われる時代、というのを聞いたことがある。

こんな風に、自分の言葉で、自分の生きざまで信頼を培う、そんな生き方ができたら。

そんなことを考えながら、こうして、今日も、私は台所に立つ。