食と私と、ときどき文。
それは、最近、改めて考えることが増えてきたこと。
今の仕事をはじめ、出会う人の数も増え、この改めて人に聞かれることが多くなり、自分のなかでも、ふわりとしていたその関係性を整理する意味でもぽつぽつと、書き連ねてみようと思います。
しばしお付き合いいただければ、嬉しいです。
育ってきた環境(幼少期〜)
電車が1時間に1本しかないのような片田舎町で育ち、両親が共働きだったがゆえに、自宅で自営業+趣味の範囲で農業をしていた祖母と過ごす時間が圧倒的に多かった幼少期。
(写真は、夏、家の目の前からのながめ)
いま振り返ると20年近く過ごしたこの町には、やっぱり、今につながるルーツがけっこうあって。
たぶん、私が、一見すると古くさいものとか、伝統的な、おばあちゃんの知恵袋的なものを好むのも、この祖母と過ごした長い年月があったからかも……?と、今になって思うことが時偶あります。
食べることが好きだった祖母。
野菜や果物から千葉県の特産物の落花生まで畑で何でもこしらえる人で、必然的に私も、それはそれは、たいそうな食いしん坊に育ちました。
小学校から帰ると、祖母の乗るバイクの後ろを走ってついていって、一緒に近所の畑に向かい、そこが遊び場に。
一時期、祖母は知り合いを中心に料理の先生を教えていたこともあり、その家庭料理の腕はたしか。
干ししいたけやにんじんなどの具材を一つひとつ煮て、ゴマをすり鉢ですって作っていく白和えや、さばの味噌煮、けんちん汁、松前漬け、郷土料理のピーナッツ味噌、鍋いっぱいに炊いていた甘酒など、今思い出すと祖母の味は、本当にしみじみおいしかった。
それと、冬になるとご近所さんとの物々交換でもらう、樽いっぱいのほしいも。
甘くて大好物でした。
といっても、子どものころはその一見地味な、素材に手を加えすぎていない、野菜をたっぷり使った料理のおいしさに気づかない。
夕飯時、「ハンバーグが食べたい!」とリクエストして、そんなハイカラなもの、大正生まれの祖母が知るはずもなく……出てきたものはコロッケだったかメンチカツで。
「これじゃない!」と泣きじゃくり、祖母を困らせていました。
料理上手な祖母と、そこに嫁入りした母も、和食を中心とした祖母の味を受け継ぎつつ、忙しいなりに大雑把な自己流の洋食(笑)。それと、基本は、誕生日とかイベントごとの時だけだけど、大きな焼きプリンとかアップルパイとか、ドーナツとか、素朴な、それでも、子どもがわっ!と喜ぶようなおやつをいろいろと作ってくれていた気がします。
こんな感じで、ほとんど外食をしなかった(というか、田舎すぎて周辺に飲食店が少ないので外食する機会がめったにない……)ため、そして、働きに出ていた父も母も必ず夕飯時には帰っていて、家族全員で食卓を囲むことが当たり前。
そんな環境だったので、間違いなく、おうちごはんが育ってきた食のベース。
そんななか、父方の家系は遺伝的に高血圧持ちだったりしたこともあり、母は昔から、
「食を預かっている=命を預かっているのと同じこと」
「(男は)胃袋で掴め」
と(それくらい食事は大事だよ、ということを言いたかったんだと思うのだけど)、口癖のようにいっていました。
新鮮な野菜も果物も、肉・魚も安く、もしくはタダ(ご近所・親戚もほとんど専業・兼業農家や漁師だったので、物々交換が主流だった)で手に入って、シンプルな調理法でもおいしくいただけて……
それがいかに特別な環境だったかということが、20年近く過ごしたこの町を、実家を出た、大学生〜社会人生活を経てじわじわ実感していくことになります。
続く(……はず!)。