ボロボロの駆け出し社会人
やがて社会人になり、京都を離れ上京することに。
時は就職氷河期真っ只中。
希望していた出版社への就職は、みごとに玉砕しました……。
(それでも、まだ、心の片隅に、ジャーナリストの夢は沸々と残っているんだけど)
何よりも思い出すのは、人生いちひどかったと断言できる、食生活のこと。
一人暮らし&とにかく生計を立てなければと流れ着き就職した先も比較的残業が多め。
忙しいことを理由に、食材を買っては腐らせてしまい……
自炊する方がもったいないと考えるようになってからは、ほぼ外食生活。
たまに家で食べるごはんでさえ、帰り道、駅前のスーパーで値引きシールが貼られたお惣菜か、ひどい時にはスーパーに行くのすら面倒になり、道沿いのコンビニで買ったスナック菓子とアイスが夜ごはん代わりになったり……。
だから、当時は、今よりも若かったにも関わらずものすごく肌も荒れていたし、体重もジェットコースターのように増減を繰り返していました。
それでも、20代前半、どうにかして人並みの外見ではいたかったので、食生活の悪さをほかでプラスして補うように、ホットヨガに通ってみたり新宿の百貨店で高い基礎化粧品を買ってみたり……。
外見だけでなく、その食生活は内面にも影響を及ぼし、当時は、感情の起伏がとても激しかったと思う。
当時を知る友人と話したときに「あのころの顔を見ていて、言葉にはしなかったけど大丈夫かなと心配になってた」と言われたことも。
今でこそ「私たちは食べたものでできている=心身ともに繋がっている」ということを身を以て、感じることができているんですが……。
今になると考えられないし、親になってみて、子どもには絶対にそんな食生活をしてほしくないと願ってしまうくらい。
ただ、当時の私は、慣れない都会生活や仕事における心身のストレスを食で解消するかのように、手軽で身体に悪いものを入れたかと思えば、翌日にはその罪悪感に耐えられず、気休め程度に、朝はグリーンスムージーを作って飲み(0か100か、やることが極端なんです……)、節約も兼ねて昼ごはんは抜いてみたり、かなり不規則な食生活を送っていました。
365日、3食ある食事の機会……このころは、あんなに好きだった食べることが苦痛にすらなっていた。
だから、私は、食に助けられてきた反面、ずっと食に振り回されてもきた。
(今でも思い出すと苦しくなるくらい、つらい時期……)
じわじわ感じる地元・地域の魅力
そんな時期に、エネルギーあふれる新鮮な食材を使ったごはんやパワースポットさながら自然の癒やしを求め、たまに実家へ帰省するたび、どんどん実感していく地元の魅力(こういうとき、気心知れた田舎があって本当によかった、救われたと思います)。
その反面、母が帰るたびに口にしていた
「この町からどんどん若者がいなくなって、高齢者ばかりよ」
という言葉も心に残っており……
“こんなに魅力あふれる地域や地元のために、何かできることはないだろうか”
そんなことを考えはじめたのでした。
ちょうど「地方創生」という言葉が拡がりはじめ、都内でも地方移住イベントが盛んに行われるようになったころ。
徐々に地域に目を向けはじめた私は、都内であった都市⇔地域を繋ぐ社会人向け講座に参加し、4ヶ月間、縁もゆかりもない東北地方に通うことに。
そこで気づいた魅力は、やはり“食”。
たまたま、通っていた東北の一般のご家庭で手料理を振る舞ってもらう機会があり、その地域では海も山も近く、新鮮ないくらやホタテ、山菜などの食材がごくシンプルな味付け・調理法で料理され食卓に並ぶ。
その光景は、自然のエネルギーがあふれていて壮観で、「都内のレストランでこれ、いくらするんだろう?」と思うくらい、みずみずしくておいしくて……
大げさかもしれないけど、「生きている」ことを実感したくらい、思い出深い食卓でした。
謙遜も含め「うちにはなーんにもないから」なんて地元の人たちはいうけれど、外者から見れば、それは大きな魅力だった、ということはよくある話。
(当時、そういう地元の人が見過ごしてる地域の魅力を発掘し、文×写真を用いて、冊子などコンテンツに落とし込み、外部へ発信する、という仕事をしていました)
“食×地域”って、本当に最強だなと思います。
食の作り手としての転機:結婚、1人分から2人分へ
一方、料理はというと、学生時代に本やバイト先で一生懸命磨いた腕も、圧倒的にその頻度が下がっていたおかげで、私にとって、料理はまだ“非日常”のことでした。
それが、結婚してからは強制的に“日常料理”へと転換せざるを得なくなり……。
20代半ば、結婚をして1人から2人の生活へライフスタイルが変わったことは、大きな転機でした。
それに、元来の食いしん坊にプラスして、凝り性……というかこだわりが強いタイプ。
これからは自分だけでなく、家族の日々の食事作りを担っていくという状況になったとき、夫やこれから増えるであろう家族の健康を考えながら、食事作りを中心に、家族が心地よく過ごせる“暮らし”にも手をかけたい。
そして、母の「台所を預かる=命を預かっているのと同じこと」
という言葉が、何度も頭の中をよぎるように。
自分ではそこまで気負っていたつもりではないけど、“せっかくなら”精神が強く……
せっかく料理するならもっと上手く、もっと「おいしい!」という声が聞きたいなあという気持ちが強くなり、ここから、単発・定期問わず、休日のほとんどを料理教室通いに費やす日々がはじまったのでした。
さて、本日はこのあたりで。
このシリーズはいつまで続くのか……(汗)。
乞うご期待(?)!