妊娠後期の、つわりのような胃のムカつき・苦しさと、ここ3日ほどで激しさを増す胎動から夜明け前に目が覚めてしまい、寝付けなくなってしまった。。。
なので、昨夜、残してしまったアイロン仕事を片付けつつ……(かといって、よく眠った日にも、日中、特に午後なんかは眠くて仕方がない)。

自分の子と一心同体の日々なんて一生のうち何回もあるわけでもなく、そんな生活もあと2ヶ月。
気まぐれ妊婦な身体とうまく付き合えるよう、いまだに試行錯誤中です。

さて、前回の続きから。

続・食の作り手としての転機:結婚、1人分から2人分へ

これまで、和洋中問わず、気になる料理があればその料理教室・先生に師事しながら、さまざまな味を覚えていきました。

そして、もともと、めくる楽しさや手触りが好きで雑誌や本は好きだったけど、なかでもレシピ本集めが趣味に(趣味で写真を撮ることも好きだったし、スタイリングが好きなのも多少はこのインプットが影響してる……?)。

こんな風に、しばらくは趣味+日々のおうちごはんの範囲で楽しんだり、奮闘していた料理。

それでも、まだ夫婦2人で夜遅くまで仕事をした日には、手間<時間が欲しくて、外食やお弁当に頼ることもしばしば……(駅ナカとか駅前とか、おいしい惣菜が手軽に手に入る。都会は便利だ)。

そこからしばらくして、第一子の妊娠が判明。

妊娠後期まで経過は順調。
かと思いきや、その出産直前、より深く“食への向き合い方”を考え直させられるできごとが起こるのでした。

食の作り手としての転機:妊娠高血圧症候群

産休に入った直後、妊娠36週のとき。
妊娠高血圧症候群を患ったこと。

重症になると、お母さんは加えてけいれん発作(子癇)、脳出血、肝臓や腎臓の機能障害、肝機能障害に溶血と血小板減少を伴うHELLP症候群などを引き起こすことがあります。また赤ちゃんの発育が悪くなったり(胎児発育不全)、胎盤が子宮の壁からはがれて赤ちゃんに酸素が届かなくなり(常位胎盤早期剥離)、赤ちゃんの状態が悪くなり(胎児機能不全)、場合によっては赤ちゃんが亡くなってしまう(胎児死亡)ことがあるなど、妊娠高血圧症候群ではお母さんと赤ちゃん共に大変危険な状態となることがあります。 (日本産婦人科医会HPより)

それまでの何の問題もなく過ごしてきていたのに、妊娠高血圧症候群に罹患した妊娠後期〜出産直後まで、両親を含めた家族をさんざん振り回してしまった。
(当時の経験・状況について詳しくは、育休中に書いていたこちらの記事へ)

それでも、入院中に病院からだされた徹底的にカロリー計算された減塩食と心と身体の安静状態により、みるみるうちに血圧が下がり、体重も減少。
おかげさまで、無事出産までたどりついたのでした。

このとき、書いていたブログや手帳には、これまでの食生活から、自分だけでなく生まれてくる我が子まで危険にさらしてしまったことに対する自責の思いや、食と、身体と心の関係性について、つらつらと湧いてきたことを綴っていて、それを書いていたときの風景とか空気なんかも、今でも強烈に印象に残ってる。

とにかく、入院中は、1日がこんなに長く感じるのかと思うほど(血圧に影響するからテレビやPC、スマホもすべてNGだった)、ただただお腹のなかの子の無事を祈り続けていました。

発酵文化との出会い

妊娠中にでた病気(高血圧や糖尿とか)について、主治医の先生からは
「これは、赤ちゃんからのメッセージだよ。あなたは将来、こういう病気にかかりやすいから気をつけなさいって。」
とも言われました。

たしかに、私の場合は、父も父方の祖母も高血圧症持ち。父は30代から降圧剤を服用しているし、原因は確かではないけど遺伝的なものも多少は影響しているよう。

「この病気と生涯付き合っていかなければならない……。」

ならば、血圧が上がってから、プラスして薬を服用するよりも、日々の食事のなかでコントロールできるならば、できることをしてみよう。

そこからは、自分だけでなく、家族や身近な人の健康を食から守りたいと強く思うようになり。

おいしいのはもちろん外せない。そして、少しでも体よくて、罪悪感が少なくて、ちょっとでも楽できればなお良い(当時は、育休明けにフルタイムでの復帰を控えていたので)……なおかつ、素材のうまみを引き出してくれるようなものはないか

なんて、都合の好い食を、ネットや本で調べる日々。

そこで出会ったのが、地元・千葉の発酵文化・発酵料理でした。

続く……。