先日の京都旅。
時間を置きすぎるとすぽーんと記憶が抜け落ちてしまうので、そうならぬ間に振り返ろうと思う。

今回の旅の一番の目的といっても過言ではない、河井寛次郎記念館とうつわ店巡り。

LORIMER KYOTOでランチを食べた後、さっそく五条坂にある河井寛次郎記念館へ向かう。入り口の隣には京都らしい犬矢来も。

河井寛次郎は大正~昭和期に京都を拠点に活躍した陶芸家で、柳宗悦、濱田庄司らとともに民藝運動を推し進めた人物でもある。

民藝は、新しい美の概念で、「民衆的工芸」を略した言葉だ。無名の職人が実用のために伝統的な手仕事で作り続けてきた品こそ美しいと説く思想である。「道具は使われてこそ美しい」という意味を持つ「用の美」という言葉も生み出した。
華美な装飾や高級品、流行している西洋的な美意識よりも、使い手にとって必要なものに対する造形美に意識を向けた日本的な概念だ。

寛次郎は陶芸以外に彫刻やデザイン、書、詩、随筆などの分野でも数多くの作品を残している。そして、今では自宅兼工房だった建物を、寛次郎が暮らした当時そのままに記念館として公開している。

それぞれの部屋には季節の花が生けられている。生活の道具を置くための棚のある大きな箪笥も。

階段も棚になっている。重厚感があって、引き戸や取っ手つきの引き出しなどバリエーションがあってデザイン的な美しさもありながら、機能的。

寛次郎が実際に使っていたという大きな登り窯も残っている。 登り窯は“共同窯”として、京焼・清水焼を営む地域の職工とともに使用されていたのだそう。

寛次郎が作陶した作品も数多く展示してあって、初期・中期・後期と年代ごとに作風の違いも見ることができる。

4月下旬、さわやかな風が通り抜ける中庭は、作陶した品を乾かすのにも使われていたという。縁側が気持ちよさそう。

こんなところに住みたい……

住みたい……!

住みたい!!!

「暮しが仕事 仕事が暮し」は寛次郎が残した言葉である。「仕事」は、暮らし、生き方そのものと切り離せないものだったそうだ。

「美しさは日常の中にある」

これは、このサイトを作ったときに、サイトの説明文に綴った言葉でもある。

でも、最近は生活のさまざまな「しなければならないこと」に忙殺されているうちに、食やうつわをはじめとする日常の中に美を見出すことは、贅沢なことなのではないか。
恵まれている、ほんの一部の人だけが享受できる戯言なのではないか。
そう思う瞬間もなくはない。

うつわや食といったことを扱うことに、時折、ある種の「後めたさ」みたいなものを感じることがあった。
特に個人作家が作るうつわは量産できず、一つ一つ手作業で作るという特性上、値が張るものも多い。

でも、この河井寛次郎記念館に訪れて、日々の暮らしぶりや生き様に触れられて、今はこのまま進んでみようという、覚悟がついた。覚悟というほど大袈裟なものではないのだけど。

そもそも、私がうつわの魅力に気づいたきっかけは「料理に苦手意識があったこと」だ。
今では料理のスタイリングも生業にしていることから驚かれることもあるが、実はずっと料理への苦手意識があった。

料理を上達するには、とにかく数をこなすしかない。
繰り返し作れば作っただけ、そのレシピは自分の中に染みついて自分のものになるし、アレンジも加えることができるようになる。

でも、それにはそれなりの時間と労力をかける必要がある。あれこれ忙(せわ)しい現代では「時間ができる」ということはなく、例えば料理を「やる」と決めたなら、ほかの時間を削って優先順位を上げていくしかない。

だから最近では3食、完全栄養食品のようなものに置き換えるという人もいる。それも一理あるなと思う。

ただ、もし少しでも料理をしようと思ったら、うつわは料理に魔法をかけてくれる。料理初心者であればあるほど、吟味し尽くして選んだうつわに乗せたときの効果たるや。

初めて、作家さんのうつわに自分のいつもの料理を乗せたときの衝撃がいまだに忘れられない。
「私、こんなに料理上手かったかしら?」と錯覚するほどだ。

こうしてたびたび、うつわの力を借りながら手を動かし、何度も失敗しつつ料理と向き合って今に至る、という感じである。

だから「料理がうまくなりたいんだけど」と言われたら、私は「たった1枚でいい。お気に入りのうつわを買ってみて」とすすめたい。

「用の美」の言葉の通り、うつわは使ってなんぼだと思う。

お気に入りの1枚を買ったなら
「使わなきゃもったいない」

「いつもなら外食だけど、今この一食を自炊してみよう」
と思うかもしれない。

たった1枚のうつわとの出会いが、あなたの食の付き合い方を変えるかもしれない。