シリーズ「母ちゃん日記」。
(いま、初めて、そう名付けました。笑)
このシリーズは、3年前に母親となり、現在、育児真っ只中の私が、妊娠・出産・育児などについて、とつとつと綴る完全に個人的な育児エッセイ(仮)です。
というのも、育児、家事と仕事、その3つのエネルギーの使い方に、その時々で迷ながら、七転び八起きしているいま。(大雑把な性格ゆえ、「まあ、いっか」で終わることもしばしばある……笑)
いまの私にしか綴れないことがあるのかも……?なんてことを思い、20年後の自分に(へ〜新米母、こんな風に思ってたんだ〜と)笑ってもらうために、いま感じていることを少しずつ置いていこうと思います。
そして、私はいま、いわゆる“妊婦”をしております。
現在、妊娠8ヶ月目。
少し前まではふんわりした服を着ていれば、傍から見て妊婦だと気づかれることは少なかったのですが、さすがに8ヶ月ともなると、もはやどこからどう見ても妊婦……。
まんまるおなか、かなりせり出して、大きくなってきました。
(赤ちゃんはいま大根くらいの重さらしい)
一人目の子を授かったときは(今、おなかにいるお子は二人目)、いつかは母親になりたいと思っていたのに、いざ妊娠すると、楽しみと不安のなかで、これから自分の身や自分の周りにどんなことが起こってくるのか、ほんの少しでも先を見越したくて、通勤する行き帰りの電車のなかで妊娠・出産の記録を綴ったブログやエッセイを読み漁ったなあ……。
そして、ここ数年、ずーっと考えていたのが(現在進行形で今も考えているのだけど)
仕事と出産の関係。
一人目を妊娠・出産時、フルタイム勤務の会社員をしていました。
そして、今はフリー+妊婦という状況。
仕事と育児や暮らしとのバランスを考え、いまの形に落ち着きました。
まだ試行錯誤の真っ只中ですが。
妊婦という立場から、どちらの働き方も経験してみて感じたことを少し。
1人目の出産から職場復帰後、独身やDINKSの同僚を見て、思いっきり仕事ができる・時間の自由がある環境をうらやましく思ったり、我が子が急な熱や数日間続く感染症にかかったときには、明らかに、仕事のしわ寄せが同僚に行くのを横目に見ながら、保育園〜自宅に向けて走って帰宅(同僚は「いいよ、いいよ」と言ってくれるのですが……やはり負担は大きかったはず)。
それはそれは、申し訳なくいたたまれない気持ちになっていました。
「時間がない」
「自由がきかない」
いま振り返ると、とにかく、私は「ない」ものにばかり目が行っていたなあ。
それは、第二子を妊娠しているいまも、少し似た状況なのかも。
社会人生活の岐路+妊婦という、一見相容れない状況で、時にはジレンマを感じ、隣の芝生が青く見えたりすることもしばしば……。
でも、いまは、できる限り「ある」ものに目を向け、いまできることを、淡々と、着々とこなしていこうと。
最近、改めてそう感じさせられたのは、器と雑貨のお店「hal」の店主の後藤由紀子さんがとあるインタビューで語っていたこんな言葉からでした。
「育児過程って戻れませんよね。有効期限がある。おむつでもごはんでもお着替えでも、ある日、ひとりでできるようになったら、もう終わり。ひらがなの“す”を左右逆向きに書いていたのが、一度書けるようになったら、もう一生書けてしまう。あのときの“できないかわいさ”には、もう戻れない。だから今を楽しんでほしい……って、今は言えるんですけどね。渦中のときは『そんなのすぐ終わっちゃうよ』と言われても、『いやいや、私は毎日これ延々とやってるんです』と思ってました(笑)」
自分や夫の母の言葉もそうだけど、こういう先輩母の言葉は、すーっと気が楽になる。
我が息子も、絶賛トイレトレーニング中なのだけど、この、まだ拙くて、おむつを履いてる姿も、いまだけ。
授乳やミルクを飲む姿も、はいはいも、自分でごはんが食べられるようになったら、歩けるようになったらもう一生会えない姿。
そう思うと、子どもが小さい時期なんてあっという間なんだなあと。
会社員で働いているとき、仕事も育児も、常に正体不明な焦燥感があって……
でも、第二子にして(30代に入って?)、少しだけ心に余裕ができたのか、やっと、そういうことにも目を向けられるように。
この記事のタイトルの言葉は、つい忘れがちだけど、時々見て、自分に言い聞かせる気持ちで備忘録的に書き留めておこうかと思い立ち、書いたのです。
こんな感じで、日々、母は揺れ動きながらも、今か今かと、我が子を迎え入れる準備をしております。