実家から地元・千葉県産のタカミメロンが届きました。

 

わが家の”夏の風物詩”。

祖母の妹である、私にとって第三の祖母のようなおばちゃんがメロン農家でして。

夏になると、実家に住み祖母も元気だった頃、「はねだし」といって傷ついてしまったり割れてしまったりして市場には出せないメロンを、30kgの米袋いっぱいに詰めておばちゃんがエッサエッサと運んできてくれた姿を思い出します。その恩恵に預かりつつも、味は変わらずこんなにも甘いのに、見た目だけで値段がつかないなんて。なんて厳しい世界なんだ!と子どもながらに感じていた気がします。

旬の果物の、水分をたっぷり含んだ断面も美しい〜。

1つは常温に出しておいて追熟して近々で食べる用に、残りは冷蔵庫で保管することで少しずつ長く楽しめます(でも気づいたらあっという間になくなってしまうんですよね…)。

 

「自分の時間を取り戻す」

最近、ふと耳に入って印象に残っているフレーズです。

 

まわりの近しい友人たちは、現在、妊娠中〜2歳児育児中という絶賛子育て真っ只中という境遇の人が多くて。

そのなかの一人、2歳の誕生日を迎えたばかりの男の子を育てる友人と話していたときのこと。
子が生まれてからこの2年間は、自分の持つほとんどの時間を優先して子との時間を過ごしてきたけど、この夏からいよいよ保育園に入園、そして自身も仕事復帰するという話になったときに彼女がいっていたのが

「そろそろ自分の時間を取り戻そうかなと思って。」

という何気ない一言でした。

 

出産子育てって、当たり前だけどこれまで100%自分に使っていた時間が、ある日突然、ほぼ皆無になるんですよね。

そして、妊娠期に心の準備はしているものの、出産したからといって突然、父や母になれるわけではなくて、最初はお父さんお母さんだなんて言われるのがむず痒いところから、だんだんと子に教えられ育てられ親になっていくような。

成長するにつれ緩やかに一人でできることも増えてきて、先々のことを考えると、途端に寂しくなるのだけど。

でもやっぱり最初は、自分で選んだ道とはいえ、普通の感覚の人であればこれはかなり自分を抑制することになって、人によっては耐え難くもあるんじゃないだろうか、と思うほど。

 

たとえば私の場合、なにかに集中して取り組める時はドーパンミンがドバドバ出て、とても心地いい時間なので、突如としてそういった時間がまったくとれなくなったことはやっぱり辛かったなあ。

 

もちろん、子育ては限られた期間だし持てる自分の時間を余すことなく子育てに投入したい!というのも大賛成。むしろ、そうできる環境であることは素晴らしいとも思います(このご時世、都心部で暮らしていくなら費用面、保育システム含めだいたい夫婦共働き前提で成り立っているから〜)。

 

一方で、働いたり別のコミュニティに属し、母だけではない顔や”自分の時間”を持つことで、「自分とあなた(子)は別の人間、切り離した存在」ということをより強く自覚し、子を一人の人間として、対個人として接していけるような気がしています。

変に我慢したり美化せずとも、そのほうが子も親も、よっぽど健全なのではないかと思うのです。

 

それと、私のここ数年のテーマは

呪いを解く」……!

仕事と子育て、どちらかに専念するでもなく両方を同時期に進行してくなかでこの国で「親」とりわけ「母親」というものをやってくには何かと「〇〇でなければいけない」という呪いにかかりやすいもの。

直接誰かに何かをいわれたわけでもないけど、この「呪い」がよく目の前の大切なもの・ことを霞ませてしまうな、と思うことが時々あるのです。

いつもいつも、そう思考を巡らせる余裕があるわけではないけど、
仕事も子育ても、できる限り物事の本質と向き合って自分らしく選択肢していければいいなと思っています。

 

最近つらつらと感じていた頭のなかを引っ張り出してみたら少し長くなってしまったので、今日はこのへんで。

 

さあ金曜日、今日もよい一日を!